織姫と彦星の服装は着物ではなく漢服?漢服ってなに?明日は七夕です!七夕の由来や服装ってなんだ?

ファッション雑学
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いや~もう7月ですね。今年も後半戦がスタートです!

ただね…もう暑すぎ(笑)
朝も暑さで目覚めるっていうね…

いやほんとちゃんとクーラーはつけましょう。熱中症は怖いですからね。


ってことで7月といえば七夕!

今回は織姫と彦星の着ている服装はなに?七夕の由来についてになります。

もう七夕の季節ですねぇ。

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そもそも七夕の由来って?

織姫と彦星の服装の前に、まずは七夕の由来をみていきましょう。


実は七夕の由来は一つではありません。

複数のもの、しかも日本のものと中国のものが合わさって現在の七夕と呼ばれる行事となっています。
なので、織姫と彦星のお話と短冊に願いを書くのは、全く関係ない由来ということです。

ではそれぞれの由来をみていきましょう。

他のおとぎ話の服装シリーズについてはこちら↓

七夕の名前の由来は?

まずは七夕の由来からいきましょう。


元々は【七夕】で「たなばた」ではなく、【棚機】と書いて「たなばた」でした。

棚機とはなにかといいますと、お盆や秋の豊作を祈るため、女性が着物を織り、神様を迎えるという日本に昔からある禊の1つです。


棚機ではなく七夕と書かれるようになった現在でも「たなばた」と呼ばれるのは、この禊の名残からだそうです。

元々は「たなばた」は機織機のことでした。※写真はイメージです。

短冊に願いを書くのは?

みなさんも七夕の日に短冊に願いを書いて、笹に吊るしたことは一度はありますよね?
私も幼稚園や小学校で書いて吊るしたことを覚えています。


続いてはこの風習の由来です。


実はこの風習の元となったのは日本の行事ではなく、中国の「乞巧奠」(きこうでん)と呼ばれる行事が由来です。

この乞巧奠は、7月7日に機織りが上達するように、針などをお供えし、星に祈るといったものです。
なんだか棚機に似ていますよね?

そのためこの2つの風習が合わさって現在の七夕となったといわれています。

みなさんも一度は書いたことありますよね。

織姫と彦星のお話は?

では織姫と彦星のお話はどうなのかというと、実はこれも中国のお話が元となっています。

初出については諸説あり、はっきりとしたことは定かではないそうですが、少なくとも「荊楚歳時記」と呼ばれる南北朝時代の文書には明記されていたそうです。

実は中国発祥のお話なんですね。
なぜ1年に1日しか会えないの?

ちなみになぜ織姫と彦星が1年に1回、7月7日の1日だけしか会えなくなったかというと、実はめちゃくちゃ自業自得だったりします(笑)


というのも、元々織姫はその名の通り織物の達人であり働き者でした。
そして彦星も同じく勤勉に牛の世話をする働き者だったんですね。

そんな働き者だった2人ですが、結婚するとある変化が起こります。


それは、イチャイチャして全然働かなくなったことです(笑)


このことを織姫の父である天帝が怒り、2人を引き離しました。
そして、2人とも勤勉に働くことを条件に、1年に1日だけ会うこと許したそうです。


つまり元はといえば結婚後もちゃんと働いていればこんなことにはならなかったんですよね。

それが働かなかったばかりにこんなことになってしまった…という正に自業自得な原因が理由で引き離されてしまったんです。


この理由を知ってしまうと、それまでロマンティックだったお話が、ただのイタい夫婦の話になってしまうのが残念なところです(笑)

こんな夜空を見ても全くロマンティックでは無くなってしまいますね(笑)

織姫と彦星の着ている服ってなに?

織姫と彦星といえばこの服装ですよね。

さて続いては織姫と彦星の着ている服装についてです。


よくイメージとして織姫と彦星が着ているのは着物と言われることが多いですが、実は違うんですね。

では織姫と彦星が着ている服は何なのかをご紹介しておきましょう。

織姫と彦星が着ている服ってなに?

先ほどもご説明したように織姫と彦星のお話は中国が由来です。

それもあり織姫と彦星の服装も日本の服装ではなく、「漢服」と呼ばれる中国の服装だと言われています。


中国のお話が由来ですから当たり前といえば当たり前ですが、服装も中国のものだったんですね。

では漢服とは?

中国で17世紀中期頃まで着られていた漢民族の民族服です。


かなり伝統があったらしく、黄帝が即位した頃が始まりとされています。

黄帝が即位したのは紀元前26世紀~25世紀頃とされていますから、とんでもなく長い期間親しまれてきた服装といえますね。

これほど長く親しまれた服装はなかなかないんじゃないでしょうか。

漢服って実際どんなの?

では早速、実際に漢服と呼ばれる服装を見ていきましょう。


まずは女性の漢服から…

Tung LamによるPixabayからの画像
小平 郝によるPixabayからの画像

どうですか?まさしく織姫の服装ですよね?

現実に織姫が現れたらまさしくこの様な感じでしょう(笑)


では続いて男性の漢服を見てみましょう。

Tank LiによるPixabayからの画像
Tank LiによるPixabayからの画像

こちらももう間違いなく彦星ですよね?(笑)


これを見ると織姫と彦星の服装は漢服が元となったのは間違いないでしょう。

漢服の現在は?

先ほどご説明したように17世紀中期頃に廃れてしまった漢服ですが、実は2000年代に入り復興させようという動きが中国であります。


というのも、漢服が廃れたのは当時の政府が着用を禁止にしたためです。
そしてその後も長らくの間、着用は禁止され続けてきました。


このことを知った若者たちが、漢民族のアイデンティティーである漢服を現代に復興させようと運動しているようです。

また、ただ当時の漢服を復興させるだけでなく、漢服を現代に合わせて改良した新たな漢服もさせたりもしているそうですよ。

残念ながら画像を貼ることはできないのですが、興味をもたれた方は調べてみてはいかがでしょうか?
ちょっと検索するだけでたくさんの画像がでてきますよ~。

【おまけ】あの有名なおとぎ話も漢服?

実は漢服は織姫と彦星だけでなく有名なおとぎ話の登場人物も着ていたりします。


そのおとぎ話とは…


浦島太郎です!

浦島太郎といえば竜宮城ですね。

浦島太郎に出てくる竜宮城の乙姫たちの服装も織姫の服装に似ていると思いませんか?

そうです。この乙姫たちの服装も漢服ではないかとされているんですね。

というのも浦島太郎の起源は色々諸説あるんですが、その中に実は中国が起源とされている説もあるんですね。
それもあり、乙姫たちの服装も漢服をモチーフにデザインされたのかもしれません。

【まとめ】

短冊にはみなさんは何を書きますか~?

七夕の由来は…

  • 七夕は大きく分けると3つの由来が合わさっている。
  • 七夕の名前は日本で古くから行われていた棚機が由来。
  • 短冊に願いを書くのは中国の乞巧奠が由来。
  • 織姫と彦星のお話も中国が由来。
今年は織姫と彦星は会えるのでしょうか?

織姫と彦星の着ている服は…

  • 織姫と彦星の着ている服は着物ではなく漢服。
  • 漢服は漢民族の民族服。
  • 漢服は廃れたが、最近になって復興させようとする動きがある。
  • 浦島太郎に出てくる乙姫が着ているのも漢服といわれている。

さぁいかがだったでしょうか?
意外と知らなかったこともあったんではないでしょうか?


そして気になる今年の七夕の天気予報は全国的に非常に微妙です(笑)
晴れる地域も多いそうですが、全体的に七夕の夜になるにつれ曇り、雨になっていくそうです……

このように天気は少し残念かもしれませんが、私は久しぶりに短冊にお願いごとを書いたりして楽しむ予定です。家族に内緒で笹を用意してたりもしてます。(笑)

みなさんも今年は短冊にお願いごとを書いたりして七夕を楽しみましょ~!

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