adidasとPUMAは兄弟げんかのおかげで生まれた?大手ブランド誕生に隠された壮絶な兄弟げんかとは?

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adidasとPUMAの意外な関係性とは?

adidasPUMA

どちらも誰もが知る大手スポーツブランドですが、この2つのブランドにはある意外な関係性があるのをみなさんはご存知でしょうか?


実はこの2つのブランドの創業者は実の兄弟であり、基となった会社も同じという意外であり深い関係性があります。


では実の兄弟が創業者で基となった会社まで同じとなると、兄弟で切磋琢磨して成長していったのだろうと思いきや残念ながらそうではありません。

実際はその逆、この2つのブランドはアディダス創業者で弟のアドルフ・ダスラーとプーマ創業者で兄のルドルフ・ダスラー兄弟げんかの末に誕生した企業だったんです。

そしてその後もこの兄弟喧嘩は続き対立し続けたという歴史があります。


今回はそんな意外で深い関係性をもつアディダスとプーマが誕生したきっかけとなった壮絶な兄弟げんかをご紹介していきます。

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大手ブランド誕生に隠された壮絶な兄弟げんかとは?

兄弟の誕生~幼少期~

ふたりは外で遊ぶのが大好きだったそうです※イメージ

ふたりの兄弟はドイツ フランケン地方ヘルツォーゲンアウラハにて靴職人だったクリストフ・ダスラーの息子として1898年にルドルフ、1900年にアドルフが生まれます。


家族構成は父クリストフ、そして彼の妻でふたりの兄弟の母であるパウリーナ、長男、長女、そしてふたりの兄弟(ルドルフは次男、アドルフは三男。)の6人家族で、母であるパウリーナは自宅で小さな洗濯屋を営み家計を支えていたそうです。


このように靴の製造を身近に感じられる環境のもと、ふたりは外で遊び回るのが大好きな活発な幼少期を過ごしました。

ダスラー兄弟商会の誕生

とうとうアドルフは靴の製作を始めます※イメージ

その後、第一次世界大戦の勃発やパウリーナの洗濯屋が廃業になるなど紆余曲折ありましたがふたりは順調に成長し、1920年頃アドルフが廃業した洗濯屋の作業室で靴の製作を始めます。


しかし、アドルフは職人肌で営業は苦手だったそうで靴の販売に苦労したため、困ったアドルフは天性の営業センスをもったルドルフに声を掛けたそうです。

そして1924年このアドルフの事業にルドルフが加入し、ついにアディダスとプーマの基となった会社ダスラー兄弟商会が誕生します。

ダスラー兄弟商会の飛躍~ベルリンオリンピック~

ふたりは最高のコンビでした※イメージ

創業当時は自転車を代わる代わる漕いで電力を確保していたこともあるほど困窮していた時期もありましたが、営業は苦手だが腕のいい職人である弟アドルフと優秀な営業マンである兄ルドルフのコンビは最高のコンビであり、そのコンビネーションにより会社は順調に成長していきます。

オリンピックは彼らにとって最大の見本市でした※イメージ

その極めつけが1936年に開催されたベルリンオリンピックです。

自国開催でより注目されるこの大会で、兄弟はアメリカ代表で有力な陸上選手であったジェシー・オーエンスを口説き落とし自社のスポーツシューズを履かせることに成功します。

そして大会本番、ジェシー・オーエンスが100mを含む金メダル4つを獲得するなど大活躍をしたことにより、兄弟のシューズは飛ぶように売れ飛躍的に業績を伸ばしていくこととなります。


この頃がダスラー兄弟商会の最盛期といわれています。

徐々に入りはじめた兄弟の亀裂

最高のコンビに徐々に亀裂が入りはじめます※イメージ

このように順調に会社が成長していく中、兄弟の間には暗雲が立ち込めはじめます。
その大きな要因となったのは時代の流れ、ドイツ国内の政治情勢です。


当時ドイツではある政党が台頭してきました。それがアドルフ・ヒトラー率いるナチスです。
兄弟は共にナチスに入党しましたが、兄ルドルフがナチスの活動に熱心だったのに対し弟アドルフはあまり興味をしめさなかったそうです。

このような政治思想の違いや営業と製造の対立など仕事面での問題もあり、兄弟の間に亀裂が入りはじめます。


そして1939年、第二次世界大戦の勃発ふたりの仲を急速に悪化させることになります。

その一端となったのが軍の召集です。戦争により召集がはじまるのですが、兄ルドルフが召集されたのに対し、弟アドルフは召集を免除されました。
アドルフが免除されたのは軍のブーツを製作するためだったそうですが、ルドルフは活動に熱心だった自分が召集され熱心ではなかったアドルフが免除されたことに対し、大いに屈辱を感じたそうです。


このことがきっかけとなり兄弟の仲はもう修復できないほどのものとなっていきます。

兄弟は袂を分かつ~adidasとPUMAの誕生~

とうとうふたりの仲は決定的なものとなってしまいます※イメージ

そして第2次世界大戦後、兄ルドルフがナチスとの関わりから逮捕された際、弟アドルフが密告したと糾弾したことが決定的となり、ついに兄弟は袂を分かちます。

この結果ダスラー兄弟商会はルドルフ率いる販売・営業部門とアドルフ率いる製造部門に分裂、ダスラー兄弟商会は消滅することになります。

そして1948年アドルフは製造部門の社員とともに、自身の愛称アディダスラーを組み合わて名付けたアディダスを設立します。

同じ頃ルドルフも販売・営業部門の社員とともに対岸に新たな会社を創業します。そして社名を自社の商品の良さや商品がもつ力強さ、躍動感を表したプーマと名付けるのです。


これが現在では誰もが知る大手スポーツブランド誕生の瞬間です。

その後も続く兄弟の対立~代が変わっても~

こうして兄弟は袂を分かち別々に会社を設立しましたが、それで兄弟の対立がおさまることはありませんでした。


弟アドルフ率いるアディダスはシューズの製作技術の高さを活かして、兄ルドルフ率いるプーマはその営業センスを駆使して会社は順調に成長していきましたが、その中でもシューズの開発競争や人気選手へのシューズ提供を争うなど、対立は熾烈を極めたそうです。


この争いはアドルフの息子ホルストとルドルフの息子アルミンの代になっても続き、この対立はペレ協定ヨハン・クライフ問題といった現代まで語り継がれるエピソードができるほど大きな争いへと発展していきました。

元々仲が良かった兄弟の兄弟げんかはとうとうサッカー界のスーパースターまでも巻き込むほどのものとなっていったのです。

対立の終幕

アディダス、プーマ、両社の対立が続く中、1974年にルドルフが、1978年にアドルフが死去します。
その後も先述のとおり兄弟の息子たちであるホルストとアルミンが兄弟と同じように対立を続けますが、この対立もついに終幕をむかえます。


しかしそれは和解によってもたらされたものではありません。
終幕の大きな要因となったのは業績の悪化でした。


アディダスは1987年にホルストが51歳で早逝したことで家族間で経営権争いが勃発し経営が迷走した結果、業績が悪化します。そして1990年フランス人実業家ベルナール・タピが株式の過半を取得、経営権を握ります。


プーマを引き継いだアルミンは一時売上を5倍、株価は10倍に伸ばすなど采配を振るいましたが、その手腕はブランド価値の低下を招き業績を悪化させます。そして1989年ついにプーマはスイスの企業コサ・リーベルマンに売却されます。


アドルフとルドルフ、ふたりの兄弟げんかから始まったこの対立は、このようにダスラー家影響力の消滅により終幕をむかえたのです。

adidas、PUMA、両社の商品は今でもスポーツ界にとって無くてはならないものとなっています※イメージ

その後、アディダスは1993年にロベール・ルイ・ドレフュスが経営権を握ると業績は回復。業界を牽引する企業へと返り咲きます。

現在でもヨーロッパ最大、世界でもナイキに次ぐ2位のスポーツブランドとして業界を代表する地位を確立しています。


プーマはその後も苦しい時期を過ごしますが徐々に業績は好転、2003年には株価が10年前の16倍に達するなど見事に復活を果たします。

今日でもスウェードコートスターなど人気商品をリリースし続けており、人気スポーツブランドとして存在感を発揮しています。

【おまけ】実は似た者同士だった兄弟

職人肌の弟アドルフと天性の営業センスをもった兄ルドルフ。

その後の対立もあり、あまり似ていない兄弟といった印象がありますが、実は意外なところに共通点があります。


兄弟が袂を分かち別々に会社を設立した際、アドルフは自身の愛称アディダスラーを組み合わせてアディダスと名付け、ルドルフは自社の商品の良さや商品がもつ力強さ、躍動感を表したプーマと名付けたと先ほどご紹介しましたが、実はルドルフは当初プーマではない違う社名で会社を設立しました。


それはルドルフダスラーを組み合わせたルーダ(Ruda)という社名でした。
つまりアドルフもルドルフも同じ社名の名付け方をしていたんです。


残念ながらルドルフはルーダにやぼったさを感じ、より軽快なイメージをもつプーマにすぐ改名したそうですが、性格やタイプも違い壮絶な兄弟げんかまでしたふたりですが、やはり兄弟だけあってどこか似た者同士だったかもしれませんね。

【おまけ】首を曲げる町

同じ町(ヘルツォーゲンアウラハ)で川を挟んで争われたアドルフとルドルフの対立は熾烈を極め、ついにこの兄弟げんかは町全体を巻き込むほどになっていったそうです。


それはかなり深刻なものだったようで、バーやレストランなどの席は履いている靴によって分けられたり、町の人々はまずお互いの履いている靴を確認してからでないと会話が出来ないほどのものでした。


このまず相手の靴を確認する行為。そして確認するために首を曲げる動作から、いつしかヘルツォーゲンアウラハは首を曲げる町と呼ばれるようになったそうです。

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